新選組といえば、浅葱色(あさぎいろ=水色+薄黄緑)で、袖とスソに白の山形のだんだら模様の入った羽織の隊服と、誠の文字の染め抜かれた隊旗が有名である。
このだんだら模様は、赤穂浪士を描いた“忠臣蔵”の舞台衣装をマネたもの。赤穂浪士は、主君への忠誠を尽くした武士として有名なので、近藤達は隊服に“忠誠”という意味を込めていたようだ。隊服が浅葱色なのは、「切腹」する武士が来ていた裃(かみしも)が浅葱色か白色だったから。つまり、この隊服には死装束としての意味も込められていたのだ。
しかし、浅葱色といえば貧乏な田舎侍が着ていた着物裏の色でもあり、田舎侍のことをバカにしてよぶときに“浅葱裏”などといった。そして会津藩の身分制度(羽織の襟と紐を身分により色で分けていた)では、最下級の色であった。また派手で必要以上に目立つ上に、夏用の麻製のものしか作らなかったので、池田屋事件以降、浅葱色の羽織の目撃例は、記録に残っていない。
池田屋事件以降は、着るのは隊服ではなく黒地や紺地の羽織を着ていたらしい。当時、壬生浪士組はお金もあまりなく、大阪にある鴻池善右衛門という両替商(銀行のような商売)でお金を借り、大丸呉服店(現在の大丸百貨店)で隊服を注文して作ったといわれている。 |
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