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新撰組

滅びゆく幕府を見捨てず、最後まで忠誠を誓い戦った新選組は、
私は潔くてかっこいいと思う。その新選組のことを書いたページです。

☆新撰組とは

新選組の元は、江戸から京都に向かう十四代将軍徳川家茂を警護するために作られた“浪士組”がはじまり。その当時京都は尊王攘夷運動(天皇を敬え、外国人を追払えという運動)の最中で、開国しようとする人や幕府側の人間をやたらと暗殺する事件が増えて治安が乱れていた。 そこで、京都の治安を守る警察のような役目をしていたのが新選組なのである。

☆新選組の隊服は忠臣蔵のマネ?

新選組といえば、浅葱色(あさぎいろ=水色+薄黄緑)で、袖とスソに白の山形のだんだら模様の入った羽織の隊服と、誠の文字の染め抜かれた隊旗が有名である。
このだんだら模様は、赤穂浪士を描いた“忠臣蔵”の舞台衣装をマネたもの。赤穂浪士は、主君への忠誠を尽くした武士として有名なので、近藤達は隊服に“忠誠”という意味を込めていたようだ。隊服が浅葱色なのは、「切腹」する武士が来ていた裃(かみしも)が浅葱色か白色だったから。つまり、この隊服には死装束としての意味も込められていたのだ。
しかし、浅葱色といえば貧乏な田舎侍が着ていた着物裏の色でもあり、田舎侍のことをバカにしてよぶときに“浅葱裏”などといった。そして会津藩の身分制度(羽織の襟と紐を身分により色で分けていた)では、最下級の色であった。また派手で必要以上に目立つ上に、夏用の麻製のものしか作らなかったので、池田屋事件以降、浅葱色の羽織の目撃例は、記録に残っていない。
池田屋事件以降は、着るのは隊服ではなく黒地や紺地の羽織を着ていたらしい。当時、壬生浪士組はお金もあまりなく、大阪にある鴻池善右衛門という両替商(銀行のような商売)でお金を借り、大丸呉服店(現在の大丸百貨店)で隊服を注文して作ったといわれている。


☆新選組か新撰組か?

“しんせんぐみ”とは読んで字のごとく、新しく選ばれた者による組織という意味で、「新選組」と「新撰組」の二通りの書き方がある。当時の人たちは読みが合っていればいいというようにと 漢字には無頓着だったので、どちらの綴りも使用していた。新選組の隊士自身もどちらの綴りも使用していた。新選組の局長の近藤勇が使用していた印鑑は“新選組”だったのでNHK大河ドラマでは“新選組”としたそうだ。


これらの新選組のことを書いた本

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